ほっかほっか亭FCオーナーから本部取締役へ。
異例の転身。
大学時代は中学校の教員になろうと思っていて、教育実習まで行ったんですよ。でも何か腑に落ちない自分がいた。そんな私が目指したのは飲食の世界でした。「身近で人を幸せにできる仕事なんじゃないか」。そんな思いがあったんですね。両親や先輩など周りの大半には大反対されましたが、ファミリーレストランへの就職を目指し面接を受けていきました。
そんな時です。先輩が持ち帰り弁当『ほっかほっか亭』の経営に乗り出し誘われたんです。「一緒にやってみないか」と。当時『ほっかほっか亭』はもの凄いイキオイで出店が進んでいて、そう言われると確かに気になる存在でした。で、実際に買って食べてみた。すると温かくて美味しい作り立てののり弁がたったの260円。そして私が何より驚いたのは70円のお味噌汁でした。毎日違う具で手作りしていて本当に美味しい! 「これならきっと売れる」。自分自身の感動が確信となり、私は進路を決めました。22歳、職業「ほっかほっか亭のオーナー」になったのです。
バイトでためたお金を出資し共同経営者に。22歳で始めた仕事は26歳の時には5店舗にまで拡大していました。しかしそこで転機が訪れます。『ほっかほっか亭』がダイエーと提携することになり、ロイヤリティのことなどで意見が別れた共同経営者と別々の道に進むことになったのです。1店舗のみを引き継ぐことにした私は、そのお店の運営を後輩に任せました。そして新たな出店話を本部に持ちかけたところ、逆に誘われたのです。「お店じゃなく本部でスーパーバイザーをやってみないか」。カッコよく言えばスカウトですね(笑)。
「FCオーナーが本部へ」という人事事例を一度も聞いた事がなかった私はとても驚いたのですが、それも面白いかもしれないと、まったく未経験のエリアに足を踏み入れることにしたのです。
27歳になっていた私は、複数店舗経営でPLが見られるようになっており、販売促進も学び人材採用のノウハウもついていました。担当店舗の運営アドバイス・経営指導をするSVの仕事がピッタリとはまったんですね。このSVの仕事、本当に楽しかった。
例えば”ステーキ販売コンテスト”などが行われると、自分ですべての担当店舗を回りポスター貼りなんかもやってしまうわけです。1枚や2枚でなく何枚も並べて張ってステーキなんだ!と主張する。と、関わったすべての店舗が売上げ上位に食い込んでくる。オーナーさんとの確かな信頼関係が築けますし、この時代におつき合いしたオーナーさんとは、今でもその関係が続いているほどです。『ゆで太郎』のオーナー、水信(みずしな)社長との出会いもこの頃のことです。
では、私がよいと思ったお店を作ります
4店舗の『ほっかほっか亭』のオーナーだった水信社長は、私よりも8つ年上。元は蕎麦職人で、SVとして私が関わったことで知り合いになります。しかしその直後、私は群馬・埼玉エリアを統括する事業所長に抜擢され、5年間東京を離れることに。東京に戻ったのは34歳の時。水信社長はすでに『ほっかほっか亭』の経営をやめており、念願の蕎麦店を経営していました。
その後様々な経緯を経て、自家製生麺をお店で作ったつゆで食べさせる本格的味の立ち食いの店『ゆで太郎』を創業。安くて美味しいですから都心の店舗展開が大当たりしていました。私は「おっ、ここにもゆで太郎があるぞ」となどと陰ながら水信社長の活躍ぶりを見ていました。
一方『ほっかほっか亭』本体は上場予定が一転、会社の売却という予想外の展開に直面。社長交代などの様々なごたごたがあり、役員になっていた私は「潮時だな」と退職を決意しました。
「1店買い取り弁当屋のおやじとしてゴルフでもしながら生きていこうか」と思う反面、「飲食ビジネスをやるなら何がいいか」模索しはじめた私に舞い込んだのは、なんと3つとも蕎麦関連の案件。その偶然で私は水信社長を思い出したのです。「ちょっと話を聞かせてもらおう」。
ほぼ20年ぶりの再会となった水信社長は、『ゆで太郎』で収益を上げているものの店舗のオペレーションに悩みを抱えていました。惜し気もなく全店の日報とPLをすべてオープンにする水信社長に、私は1日店舗で働くことを申し入れます。 そしてたった一人の職人店長がすべてを切り盛りしている運営の仕方を目の当たりにし、システムさえ整えてオペレーションを変えれば、FC展開で確実に儲かる事業ができると提案したのです。
熟練の職人にしかできないと思われていた技をマニュアルに落とし込む。お店をガラス張りにし外から店内が見えるようにする。製麺の様子を見せる。立ち席とテーブル席を作りファミリー層も呼び込む…。 こうした私のFC化提案に、水信社長は一言。「あんたがやっていいよ」。何とも職人的返答です(笑)。そして私たちは結論を導きだしました。水信社長は今まで通りのやり方で、信越食品(株)として『ゆで太郎』直営店の経営を続ける。私は『ゆで太郎』のフランチャイズチェーンを専門にやっていく。2004年8月、株式会社ゆで太郎システム設立は、私のこれまでのキャリア、ノウハウのすべてを活かす場となりました。「私がよいと思った店をつくりますから見ていてください」。「全部任せるから」。なんともさっぱりとした男のやりとりです(笑)。
本物のお蕎麦をリーズナブルに食べてほしい
『ゆで太郎』の蕎麦は、低価格なのにとっても美味しい。それは継承されてきた職人の技を素人でも再現できるようマニュアル化したこと、店内で製麺を行い、しかも1日数回こまめに製麺し、打ちたて、茹でたてを提供していること、醤油、みりんなどの味のベースとなる素材に妥協しないことなどなどが理由です。メニューの集中と選択を行い、その分、店内ですべてを手作りする。美味しくないわけがないのです。
私は高級蕎麦店はそれはそれで好きです。でも『ゆで太郎』は”日常食の店”というコンセプトの元に作っているお店。本物のお蕎麦をリーズナブルに食べていただけるやり方を、今後も徹底しながら店舗拡大を目指していきたいと考えています。
ゆで太郎を最初に研究した時に、素人でもきちんと系統立てて教育をすれば、いわゆる職人でなくてもできる仕事だなと感じましたということは、マニュアル化し、教育システムを作ればフランチャイズ化ができるということです。
株式会社ゆで太郎システムの“システム”はそういったところからのものです。といって、株式会社ゆで太郎システムはフランチャイズありきの会社ではありません。最初の動機は元同僚や新規事業を模索している方たちに紹介したいというものでした。また、私自身が加盟店とチェーン本部の両方の立場から、25年に渡って「フランチャイズチェーン」の仕事に携わってきたことがあり、その良い点を自分自身で体現したいという思いがありました。
フランチャイズチェーンもチェーン店ですから、基本はチェーン店のメリットになります。
チェーン店の定義はいくつかありますが、要は“同じお店”がたくさんあることによるメリットです。
具体的には (1)大量購入による食材や什器などのコストダウン (2)知名度のアップ (3)ポスターなどの資材のコストダウンといった事がすぐに思い浮かぶのではないかと思います。
しかし、私が一番大きいメリットだとと思うのは、専門のスタッフを持てるということだと思います。
食材を吟味する、販売促進を企画する、情報システムを管理する、優良物件を確保するといった“仕事”を担当するスタッフがいるということです。こういうスタッフには各種の情報が大量に集まりますし、各スタッフには“仕事”として成果が求められます。したがって、飽きることなく日々進化していくことができるのです。社長一人でこういうことを全てやっていると、最初の1年・2年くらいは一生懸命やるのですが、「飽きる」という言葉が適切ではないかもしれませんが、マンネリになってしまうことが多いものです。こういったチェーン店のメリットを土台に、フランチャイズチェーン特有のメリットは以下の様になります。
先ず、本部の側からは次の事柄です。
(1)出店に必要な「人」「物」「金」を加盟店が負担するので、直営店のみで出店するより急速に拡大できる。
(2)本部スタッフの給料などの経費は店舗数が増えることにより相対的に低減できる。
(3)売上の増減などによる利益の変動幅が少なくなり、経営が安定する。
一方、加盟店側には次のメリットがもたらされます。
(1)確立されたノウハウの下に開店できるので、試行錯誤による時間や経費のロスがない。
(2)過去の実績と比較できるので、立地判断の失敗が少ない。
(3)継続的に指導、助言を受けることができる。
以上が大まかなフランチャイズチェーンのメリットですが、お店はお客様に接する場所であり、お客様に一番近いところになります。
経営者はお客様に近いところにいるのがあるべき姿と私は思っています。チェーン店として数が増えてくると、経営者とお客様との距離はだんだん離れてきます。そういう意味で、ゆで太郎の様なスモールショップでは、フランチャイズ方式により経営者がたくさんいる集団という形が良い形だと思っています。
フランチャイズチェーンのメリットをどんどん拡大していけるように、ゆで太郎の仲間の全てのベクトルを結集していきたいと思っています。