ゆで太郎の歴史
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トップの軌跡 その2
では、私がよいと思ったお店を作ります

『ゆで太郎』の創業者、水信社長の転身

4店舗の『ほっかほっか亭』のオーナーだった水信社長は、私よりも8つ年上。元は蕎麦職人で、SVとして私が関わったことで知り合いになります。
しかしその直後、私は群馬・埼玉エリアを統括する事業所長に抜擢され、5年間東京を離れることに。東京に戻ったのは34歳の時。水信社長はすでに『ほっかほっか亭』の経営をやめており、念願の蕎麦店を経営していました。
その後様々な経緯を経て、自家製生麺をお店で作ったつゆで食べさせる本格的味の立ち食いの店『ゆで太郎』を創業。安くて美味しいですから都心の店舗展開が大当たりしていました。私は「おっ、ここにもゆで太郎があるぞ」となどと陰ながら水信社長の活躍ぶりを見ていました。
一方『ほっかほっか亭』本体は上場予定が一転、会社の売却という予想外の展開に直面。社長交代などの様々なごたごたがあり、役員になっていた私は「潮時だな」と退職を決意しました。

『ゆで太郎』の経営者、水信社長の転身
水信氏

水信社長との再会

「1店買い取り弁当屋のおやじとしてゴルフでもしながら生きていこうか」と思う反面、「飲食ビジネスをやるなら何がいいか」模索しはじめた私に舞い込んだのは、なんと3つとも蕎麦関連の案件。その偶然で私は水信社長を思い出したのです。「ちょっと話を聞かせてもらおう」。
ほぼ20年ぶりの再会となった水信社長は、『ゆで太郎』で収益を上げているものの店舗のオペレーションに悩みを抱えていました。惜し気もなく全店の日報とPLをすべてオープンにする水信社長に、私は1日店舗で働くことを申し入れます。 そしてたった一人の職人店長がすべてを切り盛りしている運営の仕方を目の当たりにし、システムさえ整えてオペレーションを変えれば、FC展開で確実に儲かる事業ができると提案したのです。

「あんたがやっていいよ」

熟練の職人にしかできないと思われていた技をマニュアルに落とし込む。お店をガラス張りにし外から店内が見えるようにする。製麺の様子を見せる。立ち席とテーブル席を作りファミリー層も呼び込む...。 こうした私のFC化提案に、水信社長は一言。「あんたがやっていいよ」。何とも職人的返答です(笑)。そして私たちは結論を導きだしました。水信社長は今まで通りのやり方で、信越食品(株)として『ゆで太郎』直営店の経営を続ける。私は『ゆで太郎』のフランチャイズチェーンを専門にやっていく。2004年8月、株式会社ゆで太郎システム設立は、私のこれまでのキャリア、ノウハウのすべてを活かす場となりました。「私がよいと思った店をつくりますから見ていてください」。「全部任せるから」。なんともさっぱりとした男のやりとりです(笑)。

『ゆで太郎』の経営者、水信社長の転身
トップの軌跡 その3
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